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  3. 20170605号 タイトル:「心ここに在らざれば視れども見えず」

早いものでアッと言う間に6月になりました。この歳になっても結構忙しく過ごしている のは嬉しいことか、それとも“貧乏暇無し”なのか・・・。時には、ぼんやりとする時間 を持つことも大切ですね。

我家の近くの天拝山は気分転換と体力保持とにとても良い場所になっています。この山の そばに住めたのは幸運だったと思います。標高はわずか260m足らずの丘のような山で すが、住宅地のそばにもかかわらず、山は自然にあふれています。

昨日も一汗かきながら、これからの英気を養ってきました。自然の中にいると見えない力 をもらえるような気がします。夏のわたり鳥ホトトギスの声を樹間に聞きながら、ゆっく りした時間を過ごしました。


★天拝山公園の池 水面に映る緑がまぶしいくらい 6月4日撮影

心ここに在らざれば視れども見えず

※これは私が毎月書いている鳥のエッセイの5月号です。拙文ですが、お読み頂ければ幸いです。

私が鳥や花の姿を観察するようになったのはいつの頃からだろうか。どうしてそれまで興味 の無かったものに惹かれていったのだろうか。

三十代の半ばを過ぎたあたりからかも知れない。その頃は毎日夜遅くまで仕事に追われ、家 庭では娘たちの不登校のことで悩んでいた。心身ともに疲れていた。辛い現実から逃れるた めの何かを求めていたのだろう。

自由に空を飛ぶ鳥や、力強く野に咲く花の姿を見て、自分も彼らと同じような生き方が出来 ればと思った。それまで公園で見かけても、心にも留めなかった彼らの姿が、とても新鮮に 目に映った。その鳥の名前を知りたくなった。図鑑で調べると、今まで「白黒の色をしてい て尾の長い鳥」だった鳥が「ハクセキレイ」に変わった。

名前を知ると、赤の他人から知人に変わったような感じだった。名前だけでなくその生態な ども知るようになると、彼らの存在がもっと身近に思えるようになった。鳥との時間だけは、 日常の煩わしさから解放され、その世界に夢中になることができた。無意識のうちに、その ことで自分の心の平静さを保とうとする行為だったのかも知れない。

鳥だけでなく、目に止まる木々や野草にも目がいくようになった。人間のように不平不満を 言うわけでもなく、与えられた環境の中でただひたすら生きていく彼らの姿から「ひたむき さ」や「謙虚さ」が伝わってくるからだろう。

「心ここに在らざれば視れども見えず」とはよく言ったもので、関心が無ければ目には映っ ていても見えていないのと同じだが、よくよく視てみるとなかなかに興味深い世界がそこに あることに気づく。そこには数えきれないくらいの多くの命がある。私は彼らに囲まれて今 日も生きている。

こんな豊かな世界に自分が生きているかと思えると、嬉しくなる。そして有り難くも思えて、 明日への元気も湧いてくる。今日もありがとう!

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教育文化研究所
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