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  3. 20121102号 タイトル:“褒めて育てる”の違和感

11月になった途端に、急に冷え込みました。周囲の山々の紅葉が一気に進みそうです。先週末、大学時代の同窓会で京都に行ってきました。まだ、紅葉には少し早かったのですが、40年ぶりに登った比叡山の山頂付近は所々で真っ赤に色づいた木々に出会いました。この寒気で、さらに黄葉や紅葉が進んでいることでしょうね。



★京都タワーから眺める京都の街と比叡山(※中央の山)  10月29日16:00頃撮影

私のメルマガ「なかよしブログ」に「比叡山トレイル」というタイトルで、その時の様子を掲載しています。よろしければ訪問下さい。
 →http://nakayoshi.kyoikubunka.com/



子育て関連の講座や書籍などで、「子どもは褒めて育てる」と言うことが盛んに言われています。確かに、ガミガミと怒ってばかりいても子どもは委縮したり、反発するばかりで、本来のその子らしさが育たないことは容易に想像がつきます。

一方で、「褒めて(ほめて)育てる」ということについても、何かしらの違和感を覚えていました。それは何だろう?とずっと思っていたのですが、先日、発達心理学者の大日向雅美さん(恵泉女学園大学人間社会学部人間環境学科教授)がテレビでお話しをされているのを聴いて、その違和感の原因がわかったような気がしました。

大日向さんは「褒めて育てる」の根底に、「褒めて伸ばしたい」という親の期待や願望があるのではないかと指摘されていました。そういう“御利益”を期待しての“褒める”という行為は「姑息」ではないかとさえ言われていました。

「褒める」という行為に目的を持つこと自体が、不自然だと思います。自分が感動したこと、素直にスゴイ!と思ったことを伝えることが「褒める」ということの本質だと思います。自分の気持ちを伝える表現の一つに「褒める」という行為があります。ですから、「褒める」と子どもがもっと勉強するだろうとか、もっと頑張るだろうという“下心”があったなら、それは本当の「褒める」ことにはなりません。敏感な子どもは、そういう親の態度を見透かしているようにも思います。

私の講演会などで、質疑応答の時間に時々「子どもは褒めて育てるというけれども、どうやって褒めるのですか?」という質問を受けることがあります。その時には「褒めたくないのに無理して、何かを探し出して褒めることは意味がありません。」とお答えしています。

自分の心を偽ってまで、子どもに何かをさせようとして「褒める」というのは「褒める」ということにはならないからです。子どもの態度や行動をみて、嬉しかったことを素直な気持ちで「お母さんは嬉しかったよ」「お父さんは感動したよ」と言うことが子どもを元気に幸せにすることではないかと思います。子どもは自分のことが“認められた”という満足感から、さらに元気になっていくのではないでしょうか。

私たちは自分の子どもの頃の気持ちを大人になるにつれて少しずつ忘れていきます。子どものときにどんなことで嬉しかったか、悲しかったか、悔しかったかを思い出してみてはどうでしょうか。私が「嬉しかった」ことを思い出してみると、何と言われたかは忘れましたが、そんな時の親や祖父母の嬉しそうな顔を思い出します。

子どもがその子らしく元気に育っていくには、私たち大人が素直に自分の感動を伝えていけるかどうかだと思います。大人になるとなかなか“素直”に自分が出せなくなりますが、もともと子どもの頃は“素直”だったのですから、素質は十分あるはずです。

私も「子どもの頃の素直な自分に戻ろう!」と練習してきました。練習したおかげで、すこしはマシになれたのではないかと思います。まだまだですが、この「素直」を暮らしの中で練習して、本当の“褒める”が身に付けばと思っています。そうなれば、人も自分も幸せになっていくような気がします。

教育文化研究所
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